誰のため何のため [お仕事]
上司の言うことに従うのはサラリーマンとして当たり前・・・
ヒトから、そんな風に嗜められたことがある。
続けて曰く、それが出来ないなら会社を辞めるべきだと。
・・・そうかぁあ???
いくら上役の指示とはいえ、自分に思う所があれば、僕は当然、意見を具申するし、その上で納得いく説明も無しに高圧的にやれと言われるならば、それには徹底的に抵抗すべきだと思っている。もちろん単に人として好きか嫌いかという尺度で指示を受け入れる受け入れないという低い次元の話をしているのではない。明らかに、それによって不公平を招く嫌いがある、あるいはルールを枉げようとすることを要求しているといった様子、端的に言えば理不尽を感じた時には、到底、それは否定されるべきものと僕は考える。
上司の言うことが聞けぬなら会社に居る資格が無いって?
否、僕は会社のために働いて会社から給料を頂いているけれど、上司のために働いているわけでは無いし、まして特定の個人から給金を頂いているわけでも無い。間違っていることを間違っていると言うのが会社のためであれば、それこそ正しいサラリーマンの姿ではないだろうか。
ましてや我がコトに照らすと、私たちは社会の公器たる放送局。僕が嘗て身を置いていた報道の世界では、その仕事を通じて我々の使命は社会正義の実現だと教えられてきた。そのためには、無論、巨大権力におもねることなく堂々と対峙していかねばならない。そうすることで、巨大権力が決して暴走することの無きように監視していく役目も負うているのだと。
そのように嘗て自らが意気を感じていたことと、いまの自分を取り巻いている環境の価値観とが大きくズレているようで、その嗜めが僕には素直には受け入れ難く、正直なところ唖然とした。
とは言え、処世術は人それぞれだから、その見解を覆そうとか論破しようとは思わないし、あぁそれがその人の生き方なんだなぁって、飲み込めこそしないが、しょうがない…位に思えるようにはなってきた。以前は何とか調伏してやろうなんて思っていたこともあったけど、最近になって、これは思想闘争みたいなもので、千年経ってもおさまらないアラブとキリスト教社会の対立のように収集はつかないことがわかってきたからだ。
ただ、社会を良くしたい、正義を守りたい、そのためには自分も正しくありたい、それを貫ける環境だと思って門を敲いた会社であり飛び込んだ世界であるから、その信条には素直に従って生きて行きたいと思う。だから・・・
「上長の言う通りにするばかりがサラリーマンとは思いません。間違っているものは間違っているし納得いかないものは納得がいかない。そういう姿勢が煩がられて、いっそ‘飛ばされ’でもしたら、その方が人としては幸せなのではないかと僕は思います」
・・・とだけ申し上げて不毛な議論を打ち切った。
前の記事でも書いたが、自分の会社は組織としては決して大きなものでは無い。ただ、その背負っているものは大きい。大義と言って然るべきものと確信する。だから物理的に狭い世界の中で、地位が上がったの上がらないのなんていうことに腐心するのなんて、務むるべき大義を思えば小さなことだし、むしろ、そんなつまらぬ権力闘争は大義に殉ずる足かせになる。上長からの評価だって良いに越したことは無いんだろうけど、所詮は人によって為されるものだし、気にしすぎるがゆえに自分が自分でなくなってしまいそうになるのはバカバカしい・・・だって、そのために自分を誤魔化していかなくてはならなかったり、そうしているうちに誤魔化しを自らに強要することを、それこそが我らの務めと言わんばかりか美徳と感じるようになるなんて真っ平ごめんだから。
折下たまたま手にした週刊誌に、こんな記事が出ていた。
「会社がダメになった瞬間」
その記事の中に、長く業界を主導してきたものの、気がつけば左前になってしまい、あっという間に破綻してしまった大会社の元幹部の言として曰く、
「登用された人間は‘取り巻き’でしかなかった。議論が活発になるどころかノーと言えない雰囲気が強まっていたため『これはダメだな』と思った」と。
「良薬は口に苦く、忠言は耳に逆らう」昔の人は良いコト言ってるね。人の上に立つ立場の方々は難しい経営本や流行りのドラッカーの著作なんて読むよりは「王様の耳はロバの耳」だとか「裸の王様」の絵本でも読み返してみればいいのだ。
・・・あ、ココは誰のことっていうんじゃなくて一般論として言ってるだけですよ。
ヨマヨイゴトをツラツラ書いてしまった。
とにかく、自分にも他人にも正直に生きるコトが人間には肝要かと。
自反而縮 雖千萬人 吾往矣 公孫丑章句 上
ヒトから、そんな風に嗜められたことがある。
続けて曰く、それが出来ないなら会社を辞めるべきだと。
・・・そうかぁあ???
いくら上役の指示とはいえ、自分に思う所があれば、僕は当然、意見を具申するし、その上で納得いく説明も無しに高圧的にやれと言われるならば、それには徹底的に抵抗すべきだと思っている。もちろん単に人として好きか嫌いかという尺度で指示を受け入れる受け入れないという低い次元の話をしているのではない。明らかに、それによって不公平を招く嫌いがある、あるいはルールを枉げようとすることを要求しているといった様子、端的に言えば理不尽を感じた時には、到底、それは否定されるべきものと僕は考える。
上司の言うことが聞けぬなら会社に居る資格が無いって?
否、僕は会社のために働いて会社から給料を頂いているけれど、上司のために働いているわけでは無いし、まして特定の個人から給金を頂いているわけでも無い。間違っていることを間違っていると言うのが会社のためであれば、それこそ正しいサラリーマンの姿ではないだろうか。
ましてや我がコトに照らすと、私たちは社会の公器たる放送局。僕が嘗て身を置いていた報道の世界では、その仕事を通じて我々の使命は社会正義の実現だと教えられてきた。そのためには、無論、巨大権力におもねることなく堂々と対峙していかねばならない。そうすることで、巨大権力が決して暴走することの無きように監視していく役目も負うているのだと。
そのように嘗て自らが意気を感じていたことと、いまの自分を取り巻いている環境の価値観とが大きくズレているようで、その嗜めが僕には素直には受け入れ難く、正直なところ唖然とした。
とは言え、処世術は人それぞれだから、その見解を覆そうとか論破しようとは思わないし、あぁそれがその人の生き方なんだなぁって、飲み込めこそしないが、しょうがない…位に思えるようにはなってきた。以前は何とか調伏してやろうなんて思っていたこともあったけど、最近になって、これは思想闘争みたいなもので、千年経ってもおさまらないアラブとキリスト教社会の対立のように収集はつかないことがわかってきたからだ。
ただ、社会を良くしたい、正義を守りたい、そのためには自分も正しくありたい、それを貫ける環境だと思って門を敲いた会社であり飛び込んだ世界であるから、その信条には素直に従って生きて行きたいと思う。だから・・・
「上長の言う通りにするばかりがサラリーマンとは思いません。間違っているものは間違っているし納得いかないものは納得がいかない。そういう姿勢が煩がられて、いっそ‘飛ばされ’でもしたら、その方が人としては幸せなのではないかと僕は思います」
・・・とだけ申し上げて不毛な議論を打ち切った。
前の記事でも書いたが、自分の会社は組織としては決して大きなものでは無い。ただ、その背負っているものは大きい。大義と言って然るべきものと確信する。だから物理的に狭い世界の中で、地位が上がったの上がらないのなんていうことに腐心するのなんて、務むるべき大義を思えば小さなことだし、むしろ、そんなつまらぬ権力闘争は大義に殉ずる足かせになる。上長からの評価だって良いに越したことは無いんだろうけど、所詮は人によって為されるものだし、気にしすぎるがゆえに自分が自分でなくなってしまいそうになるのはバカバカしい・・・だって、そのために自分を誤魔化していかなくてはならなかったり、そうしているうちに誤魔化しを自らに強要することを、それこそが我らの務めと言わんばかりか美徳と感じるようになるなんて真っ平ごめんだから。
折下たまたま手にした週刊誌に、こんな記事が出ていた。
「会社がダメになった瞬間」
その記事の中に、長く業界を主導してきたものの、気がつけば左前になってしまい、あっという間に破綻してしまった大会社の元幹部の言として曰く、
「登用された人間は‘取り巻き’でしかなかった。議論が活発になるどころかノーと言えない雰囲気が強まっていたため『これはダメだな』と思った」と。
「良薬は口に苦く、忠言は耳に逆らう」昔の人は良いコト言ってるね。人の上に立つ立場の方々は難しい経営本や流行りのドラッカーの著作なんて読むよりは「王様の耳はロバの耳」だとか「裸の王様」の絵本でも読み返してみればいいのだ。
・・・あ、ココは誰のことっていうんじゃなくて一般論として言ってるだけですよ。
ヨマヨイゴトをツラツラ書いてしまった。
とにかく、自分にも他人にも正直に生きるコトが人間には肝要かと。
自反而縮 雖千萬人 吾往矣 公孫丑章句 上
2012-02-11 07:35
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コンプライアンスなんて言葉が幅を利かせている割には企業を支配するのはサラリーマン根性ですね。
日本軍といい、O社といいNOと言えない組織の末路は見えているのにそれでもYESと言い続ける人々、不思議です。
by サットン (2012-02-11 13:33)
サットンさん
いつもコメントを有り難うございます。援護射撃をいただいているようで嬉しいです。
サラリーマンである以上、サラリーマンとしての根性は持っていなければならないとは思うんですけど、所謂「サラリーマン根性」となると卑屈な響きになってしまい、嫌悪感の対象になります。
こんなことを思っていると、僕の好きな佐野元春さんのガラスのジェネレーションという歌の一節が頭に響いてきました。
「つまらない大人にはなりたくない!」
by ちんくろ2級 (2012-02-11 17:02)
私が以前勤めていた会社が典型的な日本の大企業で、言いたいこともろくに言えないようなところでした。
中途で入社した私はいろいろとまわりに噛み付いて疎まれたりもしましたが、その甲斐あってか(?)退社する頃にはそれなりに信頼してもらえる同僚もできました。
けど、自動車業界ってけっこう保守的なのか、そういう会社でも昔からの資産で傾かずにやってこれているんですよねえ。
今の会社はかなり自由でのびのびできています。
私は出世欲がなく、というより出世したくなく、そういう点で自分の意見を抑えなければならない場面というのはほとんどありません。
by YAP (2012-02-12 18:14)
YAPさん
いつもコメントを有難うございます。
私も僭越ではありますが、YAPさんに近い考えをもって社会に対峙しているように感じます。
結局、人はそれぞれ。
ただ、周りに迎合しているように見える人の中にも、みながただ己の保身m出世のためというよりは、今は己を殺して自らの意思を通せるようになるまで雌伏何年・・・と徳川家康公のような志の方もいると信じたいですね。まぁ僕には出来ない芸当ですけど。
by ちんくろ2級 (2012-02-14 11:31)